そして空になる

早くも更新が途絶えたこのブログ。わりかし途絶えて良いとも思っていて。

ブログを書くのは、書かされてはいけない。

書こう!!と思った時がチャンスで、それを逃し書かなければいけないとかいう心境になって書いてしまうと後悔だけが残ってしまう。(都合の良い言い訳デス。。。)

だけど、そう思っている。

今回は君の話をしようと思う。

僕の実家は、両親と妹の4人家族。二世帯住宅でじいちゃんとばあちゃん。

そして、じいちゃんとばあちゃんには1匹のワンコ。

残念ながら2017年の11月にワンコ、12月にじいちゃんが亡くなった。

関家にも、もう1人。

あれは僕が高校一年生の時。2002年の12月。

友人が困っていた。友人のマンションに捨て犬が何匹も(確か5、6匹とかだったか)いて、全て子犬だったそうだ。知人に貰ってもらい、なんとか助けたいと言っていた。日を追うごとに、その捨て犬は減っていく。

そして最後に残った1匹。聞いたのは明日までに飼い主が見つからないと保健所に持っていくと言っていた。当時の僕は、何となく「明日になったら、その子犬を連れて帰ろう」と前日に決めていた。

一応、「一旦預かるテイ」で、友人にオレんちで一旦預かると伝えて、子犬を芽室駅まで持って来てもらった。

それが君との出会い。

冬の芽室駅はとても寒く、子犬を見たときに、その綺麗な目。真っ白な子犬の姿に胸を躍らせた。

僕の来ていたダウンジャケットの中に子犬入れて、少しチャックを下ろして、子犬の顔を出し。

駅から歩いて20分程の実家へ向かった。

あの時、君はどう感じていたんだろう。寒かったから僕はあったかくて嬉しかったんだけど、今考えたら不安だったのか。怖かったのか。それとも少し、楽しんでくれていたんだろうか。

でもあの時君と歩いた、あの道、空気、匂い、夜空の事はいつまでも忘れない。

夜の7時ごろに実家に到着。当時は軽く反抗期の僕は両親と妹には何も伝えずに、実家のリビングにその子犬を突然離した。飛び回り走り回る子犬と、呆然とする家族。

「ごめん急に。ちょっとだけ預かるだけだから。」と家族に言った。「お前急に何持ってきてるんだ!」と怒号が飛ぶが、怒号を打ち消すように子犬の鳴き声。1時間もしたら懐いていて、その日は僕の部屋に泊まった。

次の日には両親が、ドックフードやら骨っこやらを買い出しに行っていたようで、寝る場所も必要だ、おしっこするところも作ろうと色々と面倒を見てくれた。

後に父親が言っていた事だけど、3日もすりゃあ愛情が芽生える。あのとき、子犬が家に来た瞬間から、犬中心の生活になったんだ。そう言っていた。

僕はというと、ウチで飼いたいと思ってはいたが、反抗期が邪魔をし、ハッキリと言った覚えは無く。愛情が移っていくのを流れる様に見ていた。「お兄ちゃん、犬の名前は何にするの?」と妹。

当時、僕は詩をノートに書き記す習慣があり、確かその中の詩のタイトルから取った。

妹に「ダーツにする!」と伝えた。関家にダーツは見事に仲間入りをした!!

ダーツは何て言うか、人の気持ちを優先する優しいやつ。僕が学校で嫌な事があった時はいつでも、帰ったら君は近くに来てくれた。いつもは帰ると吠えて待っているのに、嫌な事があった時は僕の顔を見ると吠えるのをやめて、そっと近ずいてくる。本当に優しい。君の無言の愛嬌は、僕だけでは無く、母親、父親、妹にも十分に伝わり、居なくてはいけない存在となって嬉しかった。

家族でどこかにいく時は大体ダーツも一緒。海に行くにも山に行くにもダーツと一緒。

そういえば、車酔いをしてよく吐いていたな。僕の新しいリュックに吐いちゃって怒った事もあった。

草原に行けば全力で走り回る。でも臆病者だから勝手に何処かに行く事は決してしない。

高校生になってからは音楽に火がつき、歌いに出かけて、

帰って来たら部屋で遅くまで歌う。曲を作る。歌う。

ダーツは僕の部屋に行く廊下を寝床にしていたので、君はずっとじっと僕の歌を聞いていたんだ。

そうそう、宅録を覚え、作った曲を録音するときに限ってダーツは何故か吠える。そのダーツの声が入ってしまったテイクは撮り直す。そんな事は日常茶飯事だった。でも狙ったかの様にボーカルテイクで吠えてくるダーツ。それにイライラしてダーツを怒った事もあったな。一緒に歌いたかったのかなあ。

僕が仕事を始めても、日常は変わらず。そう、嫌な事があったら君は癒してくれた。良い事があった時も君は一緒になって吠えてくれた。

26歳になり一人暮らしをしようと決めて実家を出ていくときの君の顔が忘れられない。なんか寂しい顔で近寄って来たもんだから、僕は1週間に1回はダーツに会いに帰ってたな。今まで毎日会えたのに1週間ぶりに会うと、ホームベースにアタックする様な状態で飛んでくるダーツ。

僕が札幌へ行った後は何ヶ月かに1回のペースになっちゃったけど、久しぶりに君と会える時は楽しみで楽しみで。

去年の秋、僕が釧路に転勤が決まったあたりだったか。てんかんを起こし倒れてしまった。老犬には良くある症状らしいのだが。それからは寝たきりの生活になってしまう。歩くこともできなかったので両親が懸命に介護していた。

去年の12月でちょうど17歳になったダーツ。人間でいえば90歳だもの。そりゃあ色々上手くいかなくなる。釧路に引っ越した後は、休みがあるとなるべく実家に会いに行っていた。今年に入ってもなるべく実家に君に会いに行った。

僕が実家に帰ると、少しシッポを振り、少し鳴くダーツ。2月の終わりに会いに行った時は、目が見えていなかったらしいんだけど、僕の事を認識してくれた。

そして、2週間前。

僕は休みでお昼に起き、部屋でぼーっとしていたら母親からメッセージが。「ダーツが天国に行きました」

頭が真っ白になった。僕は状況が状況だったので少し覚悟をしていたが、そうなると覚悟しててもしてなくても同じ事。気持ち悪いくらいに晴れた青々とした釧路の空を見て泣きじゃくった。

直ぐに準備をして実家に車を走らせた。走らせながら、色々な思い出を回想し、泣きながら実家に行った。

33歳にもなって、恥ずかしいとかそんな事は思わない。思われても気にしない。大切なものが無くなるのは人も動物も何だって一緒だ。僕は人生の半分はダーツに癒された。

実家に着くと両親がいて、君の姿を見るなり頭を撫でて泣いた。花を飾り、好きだった食べ物を供え。

気が落ち、気が滅入ってしまう中、僕の父親が「今日はダーツのお通夜だ!飲もうか。」と一言。

普段は飲まない母親もビールを飲み、三人でダーツの死を悲しんだ。母親は早々に寝て、

その後に父親とダーツの思い出を話し沢山飲んだ。二人で死んだダーツを撫でては泣き、飲んでは泣き話しては泣いた。

次の日には元々来る予定だった妹も実家に到着。久し振り五人揃った家族。ダーツも嬉しかったはず。

妹は子供が4人いるけど、時間のない中駆けつけてくれた。

亡きダーツを火葬場に。人間と一緒だ。

最後にみんなで家で過ごした時間は君にとってどんな時間だっただろう。僕は忘れまいとじっと君を見ていた。最後に君を見れた事は幸せだったに違いない。君のいなくなった実家は大きな穴があいてしまったよ。

2週間経っても一向に深い傷を背負っている。母親は電話をすると泣いている。父親も同じだ。

僕は君の事が大好きだ。こう、ブログに書いているだけでも涙が止まらない。

君といつまでも一緒に居たいという思いから、お骨をカプセルに入れて釧路まで持って来てしまった。

ダーツごめんな。

本当の所を言うと、次は是非、人間に生まれ変わって

僕達家族を癒してくれた分、幸せになってほしいと願うばかり。でも、、

天国にも居てほしい。僕が死んだ時には、いつもの様に待っててほしいんだ。

と、ワガママな事を思っている。

ありがとうダーツ。君が来てくれて家族がどれだけ癒されたか。僕らいつまで生きるのかは分からないけれど、君の事は一生忘れない。

最愛の家族を失った最近は、空を見上げて君を思っているよ。